ponkotu-papaのブログ

バツイチパパの日常を気の向くままにつづります

家族を亡くすってのは

とても苦しいモノだ。

 

 

 

小林麻央さんのニュースを見て。

嫁から質問をされて。

しみじみ思う。

 

 

 

俺には兄がいた。

20数年前、俺がまだ学生だったころ、23歳の誕生日を目前に控えていた兄が、交通事故で他界した。

 

自動車を運転中の単独事故で、他人を巻き込まなかったのは不幸中の幸いだと思う。

なんでも、兄が運転する車が直進しようと交差点に差し掛かったところ、対向の右折車が強引に突っ込んできたのを回避してそのまま電柱にぶつかった、らしい。相手の対向車はそのまま逃走したらしいが、接触していたワケでも無いので罪には問えないそうで、相手の特定も出来ないまま今に至る。

今、考えると、事故現場は片側3車線の大きな交差点で、なおかつ事故発生時刻は15時くらい(本当に、歩行者などを巻き込まなくて良かった…)だったので、目撃者はかなり多かっただろうし、目撃証言を集めて相手を特定しようと思えば出来たかも知れない。しかし、当時は兄を亡くしたショックが大きく、家族のだれもがとてもそんなところまで気が回らなかった。それに特定したところで兄が戻るワケでもなく…。

 

兄はほぼ即死状態だったそうで、恐怖や痛みなどをほとんど感じる間もなかったと思われるのが、せめてもの救いかと思う。

 

今はさすがにあれから20数年が経ち、両親も妹夫婦と孫に囲まれて幸せそうだが、当時の家族の落ち込み様は今でも表現しがたく、なかなか立ち直れなかったものだ。

つい朝方、「またな!」と別れて、明日も自分の隣で笑っているハズの家族が突然いなくなる、なんてだれが想像できるだろうか。

『思考が止まる』とは、まさにこうゆうコトだと思う。現実を受け止めきれないのだ。

目の前には兄の遺体があるのに、今にも玄関から「ただいま!」と兄が元気に帰ってくるのではないか、なんて妙な感覚さえあった。

 

 

 

毎日のようにニュースで流れている交通事故は、決して他人事ではない。明日のニュースに自分の名前が載ってもおかしくないのだ。

交通事故は、加害者になっても被害者になっても辛い。場合によっては残される遺族はもっと辛い。

 

 

 

事故で突然の別れが訪れるのと、病気でじわりじわりと別れの刻が近づくのと、どちらがより辛いのかは判らない。

でも、 家族を亡くす辛さはどちらも同じだと思う。

 

 

 

こんなブログなんかで偉そうに言われたくはないのは承知の上で、敢えて言わせていただきたい。

貴方になにかあれば、家族は苦しむ。辛い思いをする。

貴方も、家族にそんな思いをさせたくはないハズだ。

だったら、定期的な健康診断は受けよう。

安全運転を心がけよう。

また、自分だけの健康や安全だけに気を配るのではなく、自分の周りの人にも、たまたま通勤電車で隣に立った見知らぬ誰かにも、自分と同じように家族が、大切に想っている・大切に想ってくれる人がいるんだと気付こう。

 

そうは言っても、自分がどんなに気を付けていても、不幸は突然やって来る。

明日、道を歩いているところに車が突っ込んで来るかもしれない。

明日、大地震が来るかもしれない。

明日、自分が、あるいは自分の大切な人が、突然この世を去るかも知れない。その時に後悔しないように、自分が大切に想っている人たちに、今すぐちゃんと伝えよう。

 

「愛している」と…。